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久しぶりに横谷研二の作品を見る。 非常に静けさを含んだ作品。 同じような細長い形態を繰り返し見せることによって、まるで森の中にいるような錯覚に落ち込んでしまうようである。 素材は段ボールを薄くスライスし、編み目を見せ、半分透き通ったようなイメージを作り出している。緻密な作業を要する技術であるが、見る側にとってはそんなことに目を奪われないのはとても不思議なことである。 ギャラリー内に展示してある作品は近作だと思えるが、細長い形態に裂け目を入れようとしている。 そこには今まで保ってきたシステムに次なる発展性を生み出そうとしている思いがあるのだろう。 まだまだその亀裂はわずかであるが、この亀裂は明確に計算されたシステムをどこまで壊していくのか興味深いところである。 永遠なるシステムなど存在しないことは横谷自身もわかっているかのようだ。そして作り上げたシステムを壊すことによって次なるシステムが浮かび上がってくるのを期待しているかのようである。 #
by satoru_nishi
| 2011-09-05 21:12
| アート
久しぶりに門田さんの作品を拝見 アルミと木を組み合わせた、ちょっとユーモアと遊び心を併せ持った作品群であった。 今の立体とはひと味違った趣があるが、個人的には彼のような立体は好きな部類である。 金属と木は一見重さが違って見える。当然金属の方が重く感じられそうだが、門田さんの作品ではアルミを使っているせいもあるかもしれないが、木よりも非常に軽く感じられる。 そのせいで、作品全体から感じられる重量感は重いというより軽くて飛んでしまいそうな感じがするのである。そして少しの風で作品はゆらゆら動くように作られている。それが作品自体にますます浮遊感を持たせているのである。実在する物体からこれほどまでに重量感を薄くさせる妙技を門田さんの作品は持っているのである。作品の大きさから感じられる重さと素材と形態から感じられる重さのギャップが私の心をくすぐる感じである。 ほかの素材を組み合わせたらいったいどういう風に感じるのだろう?とふと感じた。 #
by satoru_nishi
| 2011-08-29 22:29
| アート
展覧会タイトルである「抽象絵画の謎を巡って」からその謎解きをいかにして解きほぐそうとしたのかということを想像してしまうのだが、残念ながら謎解きをしてみたという展覧会ではない。 というより現在作家自身が今の心情を今のスタイルでもって表現を試みたという方が正しいだろう。 壮大なタイトルを持ち出したが、実をいうとあくまでも個としてどのように作品と向き合っているのか、または向き合おうとしているのかをこの展覧会で見せたのだろう。 川島明はミニマリスティックな表現を試みている。ミニマルの表現ではわずかのミスも許されない、最小の表現を持って最大のイメージを感化させる。筆跡、また色彩として最小を試みているが、すべてにおいて最小となっているかというとそうでもない。展示としてミスがないというわけでもない。ミニマルな表現であるから、そういった些細な手違いが大きく画面の中で比重を占めてくる。いわゆる心の中の揺れ、ひずみといった人間性が見えてくる。果たして作家はわずかのずれがそういった人間性を見せるということを知っていたのだろうか? 私は非常に光を感じる作品が目にとまった。光は淡い黄色と緑の間から差し込んでいるようであった。 ミニマルだが非常に人間的であり、不思議なずれを感じたのである。ミニマルだが完全なミニマルとは違うなにかが感じられた。 北村善子は抽象表現主義の流れを大いにくみとっている。4つの壁面を赤、紺、白っぽい作品で分け、それぞれの壁面に対して感情移入しやすいように構成されていた。 個人的には紺色の壁面にもっとも魅力を感じた。 ただ様々なスタイルを飾っていることもあり、いったいどの方向に進んでいこうとしているのか、また四方八方に飛んでいってしまうかのような錯覚に陥ってしまう嫌いがあった。 北村善子の作品からは一貫して「動」というものを感じられる。その「動」をどこに持って行くかは北村善子の強い意志と決断が必要であろう。 #
by satoru_nishi
| 2011-03-07 21:58
| アート
先月(2011/02-2/13)かるぽーとにて開催された「アクリル・油彩画展」の私の私評を1ヶ月たった今やっとここに綴りたい。 高橋幹、武内明子、藤田京子の3人展であるがいずれの作品にしてもエネルギーに満ちた平面作品を見せている。3人とも全く違った表現を目指しており、共通点といえば3人の作品は展覧会の名称である「アクリル・油彩画展」という絵画であり、そして3人の年齢といったところであろう。また違ったスタイルであるが、絵画としての色彩という点においては、それぞれ強い思いを感じる。高橋幹の作品からは心のうちに秘められた色彩、武内明子の作品からは自然から心に入り込んだ色彩、藤田京子の作品からは心から外にはき出すような色彩を感じる。 その色彩をどうやってコントロールし、まとめ上げて画面の中に納められるか、その点でいえば3人それぞれに苦悩しているように思われる。しかしその苦悩を逆に楽しんでいるのかもしれない。 細かく見ていけば、しっかりした意志というものが少々薄いという気もするが、彼らが描くことを楽しみ、喜んでいるという創作活動の根本的なことが全面に見え、私自身、非常に励まされる。 展覧会のタイトル「アクリル・油彩画展」はあまりにも曖昧すぎるのではないだろうか。逆に「3人展」と銘打っても良かったかもしれない。 #
by satoru_nishi
| 2011-03-07 21:13
| アート
転写するとはいわゆるイメージのコピーであり、PCも同じようなことがいえるかもしれない。そこに絵の具を塗り込む人間のオーガニックな表現がどのように化学反応を起こすのか彼自身が確かめようとしているのかもしれない。画面の中で見られる水転写、PCによって表現された人間はゆがめられ、まともな人間の姿など見られない。コピーという技法の中でゆがめられた人間の姿はあたかも現代に存在する私たちのゆがんだ心を見せられているような感じもするのである。そこに伝統的絵の具を使ったペインタリーなエネルギーが絡み、ますます画面は混沌としてくる。見ていると言いようのない不安感と心の中に潜む鬱積した叫びというモノを感じてしまう。 現代のあらゆるモノがコピーとしてはびこり、それが当たり前として我々の世界を席巻し、ところが人間本来の個人としての人格が見過ごされてしまう、そのことに自ずと恐怖を感じてしまうのかもしれない。横江氏の絵画を見て改めて個人の存在意義というモノを考えさせられた。 展覧会は非常にまとまっている。特に大きいサイズの作品は個人的に素晴らしい作品だと感じた。 小品は転写(水転写ではなくて)に対する実験的なモノと感じた。それらは作品の展開としては面白いのだが方法論として問題点があるかもしれない。 #
by satoru_nishi
| 2011-02-06 20:33
| アート
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