カテゴリ
以前の記事
2014年 12月 2014年 10月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 03月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 07月 2013年 05月 2013年 02月 2012年 05月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 07月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 お気に入りブログ
リンク
最新のトラックバック
ライフログ
rock music
JAZZ
book
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
小さなコーヒーショップ兼展示スペースに全く違った表現方法をもった2人のアーティストの展覧会だったが、ある意味、展示方法としてかなり苦しかったように見受けられた。逆にこんな見せ方も有りなのかと思わせてもくれた。 北村善子は抽象表現的で画面から作家の内面が溢れ出てくるような力強さを感じる。 乙丸みちは童画的でイラスト風な柔らかいイメージをペンで表現している。どちらかと言うとプリミティブ的といって良いのかもしれない。 作品のイメージは非常に極端に対照的で北村は画面全体からエネルギーを外に発散させているのに対して、乙丸は画面の中に鑑賞者を引き込んで溜め込んでいくような感じがする。 2人の作品のサイズも非常に対象的で、北村はギャラリースペースからはみ出すような大きさなのだが、乙丸は手のひらに入るような小さな作品を展示している。鑑賞する時は、作品に対して引きという距離感が必要であるが、2人の間では鑑賞者が作品に近づいたりさがったりを繰り返して鑑賞することが必要になってくるのだ。 これほどまでにイメージの違いのある作品を一つの空間に共存させようとしたのは相当の覚悟がないとできないことであると思う。全体を見終わって案の定、かなりの消化不良と、混乱したイメージが頭の中を駆け巡った。これは2人の作家の意図されたことなのか、それとも収拾がつかなかったのか分からない。 個人的には、2人の作品はそれぞれ別の空間で羽ばたく方が良かったと感じた。 北村にはキタムラの味、乙丸には乙丸の味があり、それを最大限に引き出すにはそれぞれ独自の空間が必要だったような気がした。 ただ、再度言うが、この展示は鑑賞者にある一種見ることに対して疑問を投げかけているようにも捉えられるのだ。通常あるような統一された空間を全く無視するようなカオス的なアプローチが秘められているのかもしれない。
by satoru_nishi
| 2014-12-24 16:48
| アート
|
ファン申請 |
||